公開資料の紹介

大坂(阪)画壇コレクション

 関西大学図書館には、約350件を越える大坂画壇の絵画が所蔵されている。それらの大きな柱となったのは文部省の補助金による資料収集であった。平成元年(1989)から4年間にわたって文部省による「特色ある教育研究」に対する補助を受けて、大阪関係の文芸資料の収集に着手し、その成果を『大阪文芸資料目録』(平成2年)、『芝居番付目録』(平成5年)、『大坂画壇目録』(平成9年)の3冊の資料目録で公開した。
 その中の『大坂画壇目録』は、近世から近代に至る大坂(阪)画壇の画家たちの絵画約350件、一枚ずつの絵画としては約500点を越える作品の目録である。これまで京都画壇と東京画壇の狭間にあって、ほとんど忘れられてきた大坂(阪)の絵画については、近年、東京を中心とする関東地方やイギリスを中心とする欧米諸国でも注目されつつあり、各地の美術館・博物館などで大坂(阪)画壇の絵画が展観されることが目立つようになってきている。今回、関西大学図書館がこれまで収集してきた大坂画壇の絵画をアーカイヴズ化し、オールカラーの画像によって、その全図、部分図、落款を配信することにした。
 「大坂画壇」という言葉は、昭和17年(1942)に大阪市立美術館で開催された「西山芳園幷完瑛展」に際して登場した。その時には「阪」の字を用いて、「大阪画壇」と名づけられた。続いて昭和56年(1981)に「近世の大坂画壇」展が同美術館で開催されたときには「坂」の字を用いて「大坂画壇」という呼称となった。これらの言葉を引き継いで、近年では江戸時代の大坂の絵画を指す場合には「大坂画壇」、近代の大阪の絵画を指す場合には「大阪画壇」を用いるのが慣例となりつつあり、両者を指して「大坂(阪)画壇」と表記することもある。
 大坂画壇は、京都画壇や江戸画壇(東都画壇)のように権威ある画家を中心に師から弟子へと繋がるピラミッド型のヒエラルキーをもつ組織ではなく、身分を越えて1対1の人間交流を基本とする集団であり、その性格は、木村蒹葭堂の時代から北野恒富の時代まで基本的には変わらない。おそらくそれは大阪の風土に根差す人間関係の成り立ちと深く関わっているものと推測される。
 さて、関西大学図書館所蔵の大坂(阪)画壇の絵画は、木村蒹葭堂(1736-1802)を中心として、その周辺の大坂の画家たち、たとえば大岡春卜(1680-1763)や中井藍江(1766-1830)らの作品を収集しており、江戸時代中後期における大坂の美術界の状況を俯瞰できる資料となっている。
 蒹葭堂周辺の長崎派の画家としては、中国清代の沈南蘋の影響を強く受けた鶴亭(1722-1785)や佚山(1702-天明頃没)らの画僧たち、また、墨竹や葡萄図で知られる泉必東(生年不詳-1764)や世界で7点ほどしか見つかっていない奇才の葛蛇玉(1735-1780)など、珍しい絵画が見てとれる。
 狩野派の流れでは、吉村周山(1700-1773)を筆頭とする吉村派の絵画、猿や鹿を描いて大坂を代表する独自の絵画を描いた森派の祖の森周峯(1738-1823)らの絵画が所蔵されている。
 文人画の系統では、蒹葭堂と交流した文人画家の岡田米山人(1744-1820)や岡田半江(1782-1846)父子の代表作が所蔵されており、とりわけ半江の画巻《山水図(大川納涼図)》は、大坂文人画の白眉とでもいうべき傑作である。また、京都の池大雅に師事した福原五岳(1730-1799)や、その弟子筋にあたる林閬苑(生没年不詳)や愛石(生没年不詳)や濱田杏堂(1766-1814)、また、鼎春嶽(1766-1811)や岡熊嶽(1762-1833)、さらに、十時梅厓(1749-1804)や田結荘千里(1815-1896)らの絵画を見ることができる。加えて、蒹葭堂と深い親交をもった伊勢長島藩主の増山雪齋(1754-1819)の双幅も秀逸である。大坂毛馬に生まれた与謝蕪村の流れにある表具師で文人画や写生画を描いた松本奉時(生没年不詳)の名前も見える。奉時は大坂・京の美術界でのプロデューサーとして寄合描きの掛幅や扇面画や画帖を取りまとめたことで近年とみに注目されつつある。
 円山応挙の流れに位置する写生派からは、森徹山(1775-1841)、上田耕夫(1759-1831╱32)、上田耕冲(1819-1911)、上田耕甫(1860-1944)らの大坂らしい平明な写生的絵画が見られる。とりわけイギリスの大英博物館など、国内外を見渡しても作品数の少ない上田耕夫の《壽福図》は耕夫の代表作だといってよい。また、京都の呉春や松村景文の流れにある四条派の写生派では、西山芳園(1804-1867)を祖とする西山派の作品を所蔵しており、芳園はもとより、西山完瑛(1834-1905)、久保田桃水(1841-1911)らの作品を紹介する。同時に、長山孔寅(1765-1849)、上田公長(1788-1850)、佐藤魚大(生没年不詳)、その子の佐藤保大(生没年不詳)と佐藤守大(生没年不詳)らの大坂の隠れた写生派画家たちの紹介を行っている。もう一人、忘れてならないのは、「藻を刈る一鳳(儲かる一方)」の語呂合わせで有名な森一鳳(1798-1871)であろう。
 さて、大坂の風俗画としては、江戸絵画史上、ますます注目されつつある月岡雪鼎(1710-1786)とその子の月岡雪斎(生年不詳-1839)、大坂の版本出版に大きな役割を果たした蔀関月(1747-1797)、特色ある絵画を制作した墨江武禅(1734-1806)や林文波(1786-1845)らの絵画が収集されている。
 さて、大坂画壇の画家の中でも、関西大学図書館が所蔵する特色の一つである戯画の領域から、大坂(阪)の漫画文化の源泉にある鳥羽絵の流れに立つ耳鳥齋(1751以前-1802╱03)の戯画を複数紹介する。近年いよいよその重要性を増しつつある耳鳥齋の珍しいコレクションだといってよい。
 続いて、大阪の近代画家としては、東京の鏑木清方や京都の上村松園と並ぶ秀抜な美人画家の北野恒富(1880-1947)の名前を忘れるわけにはゆかない。大正時代の《夜の花》は、妖艶な雰囲気を醸し出す恒富の代表作の1点だといってよい。また、最も大阪らしい画家と評される菅楯彦(1878-1963)の作品なども収集されており、楯彦と恒富の門下生でもある生田花朝(1889-1978)らも忘れることはできない。加えて、女性画家として本格的な文人画(南画)を描いた野口小蘋(1847-1917)の大作も紹介する。
 これら数多くの大坂(阪)画壇の画家たちのアーカイヴズを公開することで、近世近代の日本美術史の研究が幅広く行われ、ひいては江戸時代から明治・大正時代に至る日本の芸術・思想・歴史の文化についての理解が深まることを期待したい。

その他のコレクション

 さらに、関西大学図書館には、江戸時代に海外から連れてこられた象を描いた19世紀の尾形探香筆《象之絵巻》などの絵画をはじめ、複数の象の版画類が所蔵されており、それらは全国的に見ても貴重な資料である。これらの珍獣が描かれた背景には、学芸を奨励した将軍の徳川吉宗などによる命令があったという。その観点からいって、「象」の絵画は江戸の文化の興味深い一側面を明らかにするものとして価値が高い。加えて、関西大学には大坂画壇の絵画の他、京都画壇の絵画なども所蔵されている。これらの資料が、日本のみならず、世界中の研究者や愛好家に利用され、研究の深化と文化の発展に寄与することができれば幸いである。